料理の世界へ
高校生1年の時から、地元の肉屋でアルバイトをしていたときに「料理」をつくるという仕事があることを知りました。
当時は外食といえば「らーめん」くらいしかないと思っていましたが、ほかにも魅力的な料理があることを知り、料理の世界に入りたいと希望を持ちました。
高校へ通いアルバイトをしながら、司厨士協会の通信教育を受け料理の勉強をしました。
紅谷清三氏との出会い〜東京會舘へ
高校卒業後、レベルの高く一番流行が早い東京で勉強したいと上京し就職しました。
しかし「もっと料理の勉強がしたい」という気持ちから仕事を辞め、栄養士学校へ入学しました。
専門学校の親友を通じ、紅谷清三氏からの推薦をうけ東京會舘に入社し、魚料理・オードブル・サラダを担当し、経験を積んでいきました。
ふるさと山形で西洋料理店を開く。
長男であった私は地元山形に戻ることになり、独立を目指すようになります。
「レストラン仔馬」に入社し、1年で売上を倍にしました。
昭和57年11月に西洋料理の「西洋」の名と、ワインの原料である葡萄の里、南陽市の「葡萄」から名前をとり、「レストラン西洋葡萄」をオープン。
フレンチで、食べる夢を叶えよう!
そして、今年で38年目を迎える現在は「食べる夢を叶える」本物のフレンチの西洋料理店として、ふるさと山形に根を下ろし・・・多くの皆様が、心から安らげる時間を皆様に提供できるよう目指して参ります。
R2.1.8記